3月4日
テ・アラロアの一部であるワイオペフ・ハットに行ってきた。メンバーはエマ、ヤン、ウィング(エマのカウチサーファー)とわし。テアラロアから帰ってきてすぐということもあって、みんなの倍の速度ぐらいで歩く。半分ぐらいまでは犬のように先に行っては飼い主が見えなくなると立ち止まりを繰り返すが、それもやってられなくなりみんなを置いていく。 三時間ぐらいでハットに着く。そのときからなんだか自分の不機嫌な感じに気づいていた。なぜか苛立ちが募ってどうしようもなかった。 みんなが一時間ぐらいしてからハットに到着。お昼休憩を取って、わしとエマだけでトゥインズピーク(Twins Peak)に行く。ウィングとヤンは疲れたから昼寝するらしい。 エマと二人で急斜面をがむしゃらに登った。いつもはエマのほうが歩くのが早かったのに、エマがわしのスピードに着いてこれなかった。テアラロア恐るべし。 二人でいる時間は心地よかった。エマとわしはもちろん別の違う人間だけども、いままで共有してきたもの、過ごしてきた時間はやはり安心感をもたらす。3か月間、毎日毎日知らない人に出会って別れることを繰り返すことは容易ではなかった。新しい出会いがなければ人は生きていけないし、実際にわしの人生で育まれた情は数多い。町ですれ違う人と違って山ですれ違う人の数は少なく、毎回会う人たちにわしは即時に情を抱いてしまう。挨拶もするし、お互いの持っている情報を交換したりもする。そこには愛があるし、思いやる気持ちでなりたっている。だからどこかで自分は無理をしていたのかもしれない。トレイルが終盤に近付くにつれて、会うハイカーの数は増え、20人近くとすれ違った日もあった。たぶんわしはそれで疲れたんだと思う。心の愛情・元気ゲージは無限大ではない。テアラロアを終えて、わしの心のゲージは底を着きかけていたと思う。それに気付かなかった。だからエマがウィングを連れてきたときにわしは彼女のために気を遣うこともできず、それがどうしてなのかもわからず、そんな自分に嫌気が差し不機嫌になっていたのかもしれないと今になって思えるようになった。 今このブログを書いている11月、あれから半年以上が経って、あのとき自分はポストロングトレイル症候群に悩まされていたとようやく認められる。なんとなく自分の置かれている状況をわかっていたけど、知らないふりをしてきた。たぶんまだ今も完全に回復してはいない。三か月間も毎日違う場所で寝て、毎日違う人と夜を過ごして、帰ってきてからも自分の家がくつろげる場所だという認識が消えかかっていた。親しい人以外とは誰とも会いたくなかった。そんな状態ですぐに大学が始まって、新しいクラスメートが増えて、体は癒えても心は空っぽのままだったのかもしれない。 トゥインズピークでエマとふたりで過ごした40分間はほとんど無言だった。風の音を聞いていた。寒くなっていく体を感じていた。そしてボロボロ涙が出た。声を出して泣いた。 山にひとりでいるときあのときと同じような感覚に襲われるときがある。自然がいかに大きく素晴らしいものか感情が追い付かずに、自分の意識が土と空気と木々に混ざって消えていく。このまま消えて死んでしまいたいと思うと同時に自分の生を強く実感する。息を吸うと目がギュッとなって、息が胸に詰まって、無理やり息を吐くと涙が零れる。 いつかこの孤独から抜け出せる日は来るのだろうか。虚無の拡張は止まるのだろうか。
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近所のおじさんのお友達、クリスとその友達レイチェルでルアヒニ山脈(Ruahine
Ranges)のコッパーマイントラックを歩いてきた。 久ぶりのワイルドな急登で楽しかった。天気にも恵まれた。上のほうは風が強かったけど、ルアヒニはいつもそんなもの。クリスが誘ってくる登山はいつも野蛮なので、彼が言う「大丈夫」とか「結構平坦」とか絶対信用しない。 レイチェルはとっても話しやすくてとてもいい感じ方だった。犬、ボーイ君も連れてきてめっちゃ癒された。犬最高。テアラロアに興味があるようで、登りながら、倒木を跨ぎながら、藪を潜り抜けながら、下りでこけながらいっぱいしゃべった。舌をかまなくてよかった。 いやー、クリスに連れていかれるところは流血なしでは帰れない。何度倒木や突き出てる木とか岩に膝を打ち付けたことか。毎回悶絶する。唸りながら歩き続ける。止まるという選択肢はない。 これ以上膝を虐められないので足元に注意を払ってると次は頭を打つ。 上も下も見てると今度は肩に木の枝が突き刺さる。 たった11.5キロの登山に6時間かかった。十分に休憩を取りながらの歩みだったし、アップダウンもあったからそんなものか。 今日も堪能した。 トンガリロ・アルパイン・クロッシングに行ってきた。今年二回目。前回は大学のアルパインクラブのみんなと行った3月だっけか。今回も大学の友達たちと。
参加メンバー全員が留学生でだれも車を持っていないからレンタカーしなくちゃならんし、トンガリロ国立公園の新しいルールで車は4時間しか駐車できないことになっていて、縦走の反対側の駐車場にしか停められないことになっていて、そこからはシャトルバスを利用しなきゃならんでした。 シャトルバスが朝の7時から8時までしか走らない。家から駐車場まで約3時間。ということは、余裕をもって4時半に出発。寝不足で吐くかと思った。 残雪がまだあると仮定してアイゼンも念のため持っていく。靴もいつものトレイルランナーとトレッキングブーツも持っていく。 駐車場に無事時間通り到着して門番さんみたいなひとにトレイルの状態を聞くと、残雪は谷間にあるようだけどアイゼンが必要になるようなことはないみたいなのでブーツは車のトランクに置いていく。ドライバーはみんなを降ろして、車を縦走の反対側まで走らせてシャトルバスで戻ってくる。 ドライバーのケイティ―が8時半ごろに戻ってきて合流。彼女の手には黄色いブーツがぶらぶらとぶら下がっている。あちゃー…。使わないから意図的に置いてきたと伝えとけばよかった…。 ということで重たいトレッキングブーツでハイキングすることに…。履いていたトレイルランナーはザックには入らないので外に括り付ける。 前回は急いでいたこともあるからマウント・ナラフイの登頂アタックも含めて、5時間半でハイクアウトしたこともあって、今回は5時間ほどで行けると思っていた。 結局7時間かかった。途中で写真を撮ったり、しゃべったり、休憩したり、景色を楽しんだり…、まあこういうハイキングも楽しくていいと思う。でもやっぱり、スピードハイク狂としては物足りない感じはした。いや、でも楽しかったからオールオッケー。 来週から期末テスト、勉強がんばろう。でも明日も山に一日中行くんだな。 Biathlon(バイアスロン)とは、Triathlon(トライアスロン)の二種目バージョン。コンペとかじゃなくて、そんな感じの一日でしたという意味で。
まずは、金曜から楽しみにしていた久しぶりの山奉行。山に呼ばれてですね、ご挨拶しにいく予定。 金曜の夜は遅くまでアルパインクラブの仲間と最後のパーティーを繰り広げ就寝は2時近く。それでも土曜の朝早くから、行ってきた。 ずっと行きたいと思ってたルアヒニ山脈のリオンキンヴィッグ山小屋(Leon Kinvig Hut)。今年の三月ぐらいに一緒に探検したルーシーと一緒にわくわくしながら駐車場に到着。 でも間違った駐車場に来てしまった。ちょっと引き返し目的地に到着。 しかーし、ルーシーは「新しく買ったギアを試したくて、ハイキングサンダルを持ってきたんだー!」って、サンダルで行くのだとか。 え、まじで? てか雪降ってるし、山に雪積もってるけど大丈夫かな…って思いながら、とりあえず出発。 うーーーん、ルーシー歩くスピード前とあんまり変わってなかった…。しかもサンダルやし、小枝が入っては止まって、足がかじかんで感覚がないらしいし、しかも川を渡る時に滑って落ちちゃった。 二キロほど進んだところで、転けて足首を捻ってしまってもうこれ以上進むのは諦めた。悔しいけど、強行突破して怪我人のベビーシッターするよりはずっとマシ。ということで下山。四キロ歩くのに二時間かかった。。。 駐車場まで五分ぐらいの開けた場所でルーシーの新しいギアを拝見したく、ビビーを建ててもらった。スリーピングバッグカバーの頭のあたりにドーム型の支柱を立てて空間を作る感じの、サナギみたいな形のやつ。軽いし、マイルドなコンディションの日には最適なキャンプ用具だと思う。ただ、結露が心配。スリーピングバッグとの距離は狭いし、寒い日は内側が結露して濡れてしまうかも。豪雨の日にこの中で寝ても濡れないか耐水圧によるけど、問題は荷物を中に入れるスペースがなくて外放置だからそっちが心配。テントを張るスペースがない場所、たとえば岩場とか森林地帯とかには最適かもしれない。軽さはいい点でもある。 ということで、昼ごろに家に到着。 なんかあっけなかった。 物足りないから一人でトレランにも行くことにした。 まずはパンクしてるチャリを自転車屋さんで直してもらった。パンクね、友達と自分で直したんやけど、ほかにも穴空いてたみたいで見つからず諦めてしまった。なんかワシのチャリのタイヤがキチキチで外すのもはめるもの一苦労なんだわ。だから一個塞いだ時にもう大丈夫と思って空気入れてもまだ漏れててもうイヤになったんですよ…。修理に二千円ぐらいかかっちまった。 元気いっぱいになったチャリを飛ばしてカフテラワ・リザーブに行ってきた。片道17キロ。前はマウンテンバイクで行って二時間近くかかったけど、今日のワシは強いぞ。なんたってロードバイクなんだから、フハハハ。 だけども、キツかったーーー!アップダウン激しい! 一時間で到着。もうすでにフラフラ、脚はパンパン。休憩取らずに走り出す。 下山中は転がるように小走りすることがよくあるけど、ちゃんとトレランするのはこれが初めて。走るのはあんまり好きじゃない。去年はよく大学の登下校を走ってたけど、膝が痛くなってやめてしまった。 でも最近体力も筋力もめっきり落ちてしまった気がするから頑張ってみることに。 途中で脚が攣って痛かったー!最初はちょっと痛いぐらいで止まれるかってプッシュしてたけど、一回脚が曲がらないぐらい筋肉が突っ張って目が飛び出るぐらいビックリした。肉離れとかなったら元も子もないし、歩くことにした。 こんなんで脚が攣ってしまうとか、自分の弱さを思い知った。ちょっと真剣にトレーニングに励もう…… そんなこんなでてっぺんに到着。そして引き返しながら気付いた。あれ、お昼ご飯食べてない!!食べることしか能がないのに!! それからはできるだけ早く飯にありつきたいだけに走る。脚も痛いけど、ごはん、たべたい。まるで「サンポ」と「ゴハン」しか言葉のわからない犬のよう。 下山してチャリかっ飛ばして家に着くなりキヌアを炊く。野菜はセロリしかないからある分だけぶち込んで、豆腐も入れてキヌアと最後は炒める。美味しい〜。 という日でした。おしまい。 2018年9月29日~30日 ポーアカイ・サーキット(Pouakai Circuit)に行ってまいった。ちょうど去年の今頃にもここにきた。あのときはチームの一番後ろでゼーゼーハーハー息を切らしてみんなの脚を引っ張っていた。目的地のポーアカイ・ハットが死ぬほど遠く感じた。 あれから一年経ちまして、なんと今回わしは8人のメンバーを引き連れるチームリーダーにまで昇格。ソロ屋にとっては責任が重たく、実は月曜日から胃が痛かった。週の初めのミーティングでの天気予報は雨。こりゃあ別案を考えないといけないかもしれない可能性を頭のすみに置いておきながら、とりあえずギリギリまで様子見ということで。金曜にチェックし、かなり回復していたのでこれはいけると踏んだ。 土曜の7時、今回は寝坊せずに予定通り出発。ヒヨコどもついてこい。わざわざオークランドから飛行機に乗って参加しにくるベンをニュープレマスまで迎えにいく。 山の駐車場に先に到着したカースティンの車から一報が入る。なんと山道の一部が土砂崩れで閉鎖され迂回ルートを取らなきゃいけないとか。なんだってー。どうしよう。いろいろ悩んだけど、みんなの力を信じて突き進むことに。みんなを不安にさせてはいけないので、こういうときこそリーダーは堂々としてないといけないけど、そんなに人は一瞬で変われるわけでもないので「う~ん、う~ん、、、どうしよっか~。ちょっと時間的に心配やけどいけると思うし、やってみよっか~。」ってかんじ。 11時半、一行は出発。登りをみんな頑張ってた。3時間ぐらいちゃんとした休みなしでホリーハットに到着。まじ、みんなすごい。速いスピードではないけど、ほんとうに頑張ってた。予定ではベル滝を見に行くはずだったけど、時間押してたのでやめにした。まだ季節も初春だし、陽が落ち始めると気温の低下は速い。 遅めのランチ休憩を30分ほど取るつもりだったけど、みんな食べ終わったらサッと片付けて颯爽にザックを背負って、わしがトイレから帰ってきたら「準備万端です」って顔でわしを見るんだ。なんのトレーニング受けてきたんですか?ってかんじ(笑) ホリーハットからは山を下りて湿地を歩く。去年は湿地のボードウォークがほとんど壊れたり沈んだりしていて、足がぐちょぐちょになったのを覚えている。だが、ボードウォークがきれいに再整備されていて大丈夫になっていた。 湿地はタソックという植物で覆われていて黄金色にたなびいていた。 ここからは階段地獄。苦しいけど、止まらずに上まで行きたい。去年の自分に勝ちたい。もっと強くなりたい。いつしかソロ屋に戻っていた。いけないいけない!と振り返ったらベンが付いてきていた。そしてなにやらもごもご言っている。階段を数えているらしい。600段だとさ。 ハットが見えたときみんなで喜んだ。先に荷物を降ろすことも考えたけど、ちょうど雲間が切れてタラナキ山が顔を出し始めていた絶好のチャンスだったので、寝場所確保は後回しにしてミラーターン(鏡池)に向かう。 向こう側からハイカーたちが4人ほどやってきて、寝床がなくなる問題を思い出し焦ってハットに戻る。ハットの写真は撮り忘れた。ハットはいっぱいでほか2,3チームが泊っていた。とくに大盛り上がりするかんじでもなく、湿ったかんじの空気のまま就寝。こういうのってチームリーダーの性格が顕著に現れる。 みんなが寝るモードになり、わしは持ってきた教材を読むことに。しかし睡魔に襲われ10時前には事消える… 朝物音で目が覚める。時間を確認するともう7時40分!やば!出発は8時の予定!みんなを起こしにいく!親になった気分だった。 8時40分に出発。実は明朝にサマータイムが始まって一時間早まっていたらしい。みんな起きられなかった理由が付く。いや、でも9時に寝に行って6時半に起きたとしても10時間近く寝てる。 天気予報は雨。いまのところ霧で留まっている。このまま持ってほしいと願いながら歩きだす。 2時間半ほど歩き続けて、シェルターに到着したので荷物を降ろして休憩。ひとり女の子が膝が痛いと苦しみ始め、ワイオペフの悪夢が頭の中で蘇る…。どうすることもできないのでとりあえず焦らなくていいしいつかは辿り着くと励ましたり、いろんな話をして気を紛らわす。こういうとき、恋愛の話は役に立つ!Boy meets gils、恋してる瞬間、きっとあなたを感じてる~⤴⤴Fall in love、ロマンスの神様~どうもありがとう~⤴⤴♪ 4時間ほどで終了。天気にも恵まれ、誰も深刻な問題なしに帰ってこられてほんとうによかった!!あ~~~、肩の荷がおりた~~~。来年からクラブの委員会メンバーになるけど、もう胃が痛い。こんなにもストレスだと思わなかった。でもお金の面で結構利点があるからやっぱりがんばろうと思います。 9月16日 初めてのマウント・タラナキ登頂チャレンジから約一年。また今年も行ってきました。今回は天気は完璧。予定を知ったときから意気込んでいました。 私の本業は大学生です。毎日講義と実験、レポートの課題にテストと勉強、日々忙しく勉学に勤しんでいる合間に登山を楽しんでおります。 出発は土曜の朝7時。金曜の夜はレポートの締め切りがあったため深夜2時に就寝。疲れ切っていたしとにかく寝たかったので、準備もなにもせずにアラームをかけました。 土曜の朝7時半、シェルビーからの電話で飛び起きました。いやー、やらかした。またやってしまった…。部長のジェームズが電話の向こうで「またワコだよ!やりよったなー!」と笑っていました。でもね、ちょっと嬉しかったんです。たぶん去年だったら私がいないことも気付かれてないかもしれないし、電話なんてくれてないと思うからです。一年以上かかって部活の一員として認識されるようになってほんとうに嬉しいです。あ、でも寝坊はほんとうにごめんなさい。 車はアビー(来年の部長)と彼氏のセフトンに載せてもらいました。タラナキに無事到着し、みんなより40分ほど遅くに出発。途中で合流して登頂アタックに間に合いますように。 二時間ほどで先頭チームに追いつきました。後方チームは山頂は目指さずにサイム・ハットでシャンパンを楽しむらしいです。 雪は柔らかすぎず、良い感じに凍ってて、アイゼンには最高のコンディションでした。サイム・ハットに午後1時半に到着。去年と全く違った形相でびっくり。あちゃちゃちゃちゃ…これどうすんの…? 私たちとは別の登山チームが先に到着していて、その男性が入り口の氷を必死で取り除いてくれたおかげで無事今晩は外で寝る可能性はなくなりました。 中に入り、登頂に不必要なものは全部パックから出してバンク(自分の寝るところ)に場所取りとして置いていきました。ここ、重要です。母からもらったサーモスのスープジャー第二号もバンクに置いていきました。 昼食を済ませて午後2時に登頂組は出発。目指すは山頂。このハットから山頂の往復が約4時間と推測されていて、日の入りは午後6時頃。暗くなる前に帰れるかギリギリのタイムリミットでした。 登り始めてすぐ、南側の斜面がツララに覆われていることに気が付きます。この時点でワシは心がズーーーーン⤵︎⤵︎ってかんじになり始めてました。 ツララは標高を増すごとに大きくなり、足を置く場所さえ覆っていました。踏み出すごとにツララは壊れ、ガラガラと音を立てて急斜面を滑り落ちていきます。アイゼンを踏みしめるとき、シューズの下にはツルツルした円柱形の氷があることがもろにわかり、アイゼンを信じきれない気持ちがだんだんと不安ばかり大きくさせていました。何度も何度ももうこれ以上登りたくないと思う反面、去年残した課題を成功させたいという気持ちの方が強かったので、恐怖を封じ込めて一歩一歩進み続けました。 しかし、残り150メートルほどのところで心が折れました。ただほんとうに怖かった。高さもツララも、疲労があって乗り越える力はもう生まれなかった。 自分の弱さがむちゃくちゃ悔しかった。天気も晴天で風が全くないこれ以上に望めるものはないくらい最高だったはずなのに。もう少し足場のコンディションが良ければ、なんて考える自分も嫌でした。よりよいものを望んで自分が達成できなかったことに対する言い訳なんて始めれば、ただの底なし沼の自己過大評価言い訳野郎です。だけど、これ以上プッシュして追い込んで最悪の事態になれば、チーム全体にも部活にも迷惑をかけることになると思い、安全第一を選びました。自分のその日のリミットを把握し受け入れ、そしてコールアウトするのは屈辱的です。簡単なことではありません。今回は自分の体も心も山よりは強くなかったということです。 待ってる間、恐ろしいぐらいに体全体が攣ってめちゃくちゃ痛かったです。まずは右脚が攣って痛いから立って伸ばそうとしたら、左脚も攣って、体を伸ばそうとしたら次は背中からわき腹に向かって攣る。このまま攣り続けたら死んでしまうってまじで思いました。しばらくしたら治りました。ご心配おかけしました。 風は穏やかで太陽が目の高さまで傾いていました。影が伸びてきて、気温も下がっていくのを感じ、不安がまた大きくなって今度は焦りもコンニチハー!!と。 山のいいところはとても静かなこと。静かだけどたくさんの音が鳴っている。 風の音、 葉っぱが擦れる音、 木が軋む音、 鳥が飛ぶ音、 重なるさえずり、 落ち葉を踏む音、 一キロ先の人の声、 呼吸の音、 鼓動の音、 頭の中の声、 血が駆け巡る音、 そしてこれらの音を圧し殺すずっとずっと遠くで鳴るエンジン音。 街にいるとワシはなにも聞こえなくなります。全てが啀み合い、かき消され、自分の声も聞こえない。この喧騒が耳を通って頭のなかでハウリングして、出口を失ったハエのように飛び回ります。「ポケットの中のビスケット」の唄をよく思い出します。「ポケットの中にはビスケットが一つ、叩いて見るたびビスケットは増える。」頭の中に入った騒音は頭蓋骨にぶつかるたびに倍に鼠算式に増える、そんなかんじです。そんな不思議なポケットが欲しいかぁ。なんてトムたちを待ってる間考えたり。村上春樹になれそうですな。 太陽が山に隠れそうになり、向こう側に見えていたハロ現象が見えなくなったときにトムたちが帰ってきました。 無事に誰も怪我をせずにハットまで下山できたことはとても誇れることです。部活としても、個人としても、正しい判断を下せたことは勇気のあることでした。 ハットに戻ってきて、他のメンバーたちが夕陽を見ながら出迎えてくれました。ほんとうに嬉しかった。みんなが安全に帰ってきたことを褒めくれたし、一緒に喜んでくれました。こういうとき、仲間がいるって幸せなことだなって感じます。ソロハイカーはなんでも自己完結することばかりで、自分の身の安全はエゴや野望よりも大切であることをよく忘れてしまいます。この気持ち、これからも忘れずに大切にしていきたいです。 ハットの中は暖かく、温かいご飯を食べたらすぐに眠たくなってきて、みんなも午後9時半には就寝。悲しいことに山頂アタックする前に置いていったサーモスのスープジャーが見当たらない。みんなに聞いて回って探したけど結局出てこず。夜も隣のバンクで寝ているデブおっさんのイビキがうるさくてほとんど一睡もできなかった。口を塞いでやろうかと血迷ったが無事にだれも殺さずに朝を迎えることができました。 朝はそのせいもあって最後まで寝てたのはやっぱりワシ。シェルビーに石を投げつけられてようやく起床。朝食を済ませ誰よりも早くパッキングし時間通りに出発。 下山は登山よりも怖かった!去年も全く同じことを言ったような気がするが、感覚は滑り台を歩いて降りるかんじ。しかもそれを何時間も。太ももが千切れるかと思った。風は暴風に近く、飛ばされないだろうけど飛ばされそうと思いながら早く安全な場所まで降りたくて慎重かつ素早く歩く。そう、下山はコツさえ掴めば大丈夫。 そうして、今回もマッセー大学アルパインクラブの旅は無事に安全に楽しく終えることができました。ほんとうに楽しかった。サーモスのスープジャーをなくしてしまったことは悲しみ極まりないけど…。 次は登頂できるといいなぁぐらいの意気込みでまた来たいと思います。山は逃げないし、いつまでも待っててくれるので。焦らず確実に。 二度目のワイオペフ・ハットに行ってきた。今回はサーキットを歩くつもり。お供は、来年度からの部長のアビー。最近仲良くやっとります。
先週末だっけか、ふたりで山に行く予定立ててたけど、前夜にウサギを車で跳ね飛ばしてフロントバンパーとライトが壊れてしまったから急に行けなくなった。その代わりに今回のハイキング。 アビーがお母さんが昔履いていたハイキングブーツを修理に出していて、新しくソールを直してもらって継承するらしい。そのブーツが完成したから試し履きしたいんだとさ。 順調に駐車場に到着し歩き出す。 天気はまあまあ。曇ってるけど雨ではない。 アビーも歩くのが速くないから、ふたりでぺちゃくちゃおしゃべりしながら登っていく。話してる方がワシの気が紛れて楽だから。 途中、アビーがよく止まるようになる。どうしたものか、ブーツの足首の部分が硬くて痛いらしい。引き返すか聞いても大丈夫だと言うので、そのまま続行。 痛みは増すばかりでとても辛そう。取り敢えずハットまでなんとか到着。三時間で着くとふんでいたが、四時間以上かかった。 ハットでち昼食を取っている合間に風と霧は強くなり、ピークと峰を通るサーキットはやめにして来た道から帰ることに。 帰りが地獄だった。文字通りの地獄。 アビーの足首は痛くなるばかりで、苛立ちも募る。 当然足取りは重く、下りはより慎重になった。 そうしているうちに、日は落ち、 ヘッドライトを持ってきていなかったアビーはより一層怒りが増して、感情を抑えきれなかった。 下山中ずっと悪態を聞き続け、できるだけ気を紛らわせようといろんな話を振ってみる。空気を和ませようと、にこにこ顔で話を聞く。それがまた腹が立ったんだろう。完全に暗くなった頃に「なんにも面白くない!教えてやろうか?もうこのパートだけで二時間も歩いてる!」と怒りを向けられたが、反射的にまたにこにこ顔をしてしまい、また「なんにも面白くないんだけど!」と言われてしまった。地獄すぎる。 それから何度も発狂したり泣いたり、可哀想だった。痛みはつらい。どうしてあげることもできない。自分の靴と交換しようかと二度目に尋ねた時に「いらないってば!」って拒否されのはさすがにシュン…ってなった。 結局五時間半かかってようやく駐車場に到着。大変、地獄であった。 この日のことをこれから「ワイオペフの悪夢」と呼ぶことにする。 8月中旬(真冬)
ルアヒニ山脈のランギワヒア・ハットに行ってきました。二回目。 はじめてのときは去年の10月ごろ、ブログにもした気がする!あのときは夏間近のいい季節だったのにまさかの雹と霰と雪と防風に降られたんだった。 今回は写真クラブの野郎どもと行ってきました。ショートトリップです。あんまり書くこともないので写真楽しんでいってくださいな。 学期休みやることもないので、一人でヒッチハイクしてワイカレモアナまで行ってきました。タイムリミットもあって、計画もそんなに入念に立てなかった、行き当たりばったりに頼った初めてのヒッチハイク。ちょっと不安にもなったけど、全体的には星三つ。 まず、初日、7時間かかってワイカレモアナに到着。一日で着けると思ってなかったです、正直。でも変なところでヒッチ降ろされて、引くにも引けない状態になってしまって…あんな危なそうな町でヒッチハイク捕まって、しかも家にまで泊まらせてもらえたとかラッキーすぎました。最高の家族でした。昔パーマーストンノースに住んでいたことがあったらしくて、どこ住んでたんですか?って聞いたら、わしが前に住んでた家だったんです(笑) いやー、世界まじで狭い! そんでそのおうちで一晩お世話になりまして、ワイカレモアナのトレイルに出発。冬だから雪が積もってるかもしれない不安もあったけど、天気にも見舞われて結構調子よく歩けました(走れました)。そう、体の調子がすごくよくって、36キロぐらい初日に歩けました。本当は最後のハットまで行きたかったし、絶対行けたけど、冬は暗くなるのが早くて4時半で薄暗くなってきてたから諦めました。 そこで4人のハイカーと出会いました。オポトゥネ(Opotune)駐車場から最初のパナキリ(Panakiri)ハットまで2時間で着いたって言ったら「そりゃあ、だれもあんたとは山に行きたがらないわけだ、ワハハハ」と返されました。まあそうですね。でも、トレバーはこの52キロを13時間でやったんですよ。「まあ、もう20年ぐらい前の話だけれども」って言ってたけど、いまトレバーは70歳だから、それでも50歳とかなわけ。悔しいやん…ふつうに。次はわしも一日で突破する。打倒トレバー。 次の日は若干天気が悪くって、小雨に降られました。最後のハットに着いてゆっくり昼食を取り、最後の橋を渡り道路まで生還。 しかしここからが問題。なんにも考えていなかったけど、実はここはワイカレモアナの反対側で、オポトゥネから60キロぐらいある。ほかのハイカーたちは60ドル(5000円ぐらい)とか払ってシャトルバスで駐車場まで戻るらしいのだけれど、わしにはそんな金はない。まじで払いたくない。なにがなんでも、ここはヒッチハイクで帰りたいととりあえず道路を歩き始める。山の中なら何十キロでも歩けるのに、コンクリートとなれば話は別。6キロぐらい歩いてもう嫌になる。くそやろうって心の中で思いながらテクテク歩く。途中であのシャトルバスが迎えに行くところに遭遇。もう一度いくらか尋ねてみるとやはり60ドル。交渉してみたけど、それでも50ドルだと。馬鹿じゃねえの。 それでも諦めずくよくよしながら歩き続けると、後ろから聞こえてくるエンジン音。きたー、ヒッチハイクの女神がほほ笑んだー!後ろを振りかえり、左腕をいっぱいいっぱい伸ばし、右腕を腰に堂々と仁王立ち。こうなったら、ドライバーはもうこの可哀そうな雨に濡れているヒッチハイカーを乗せないわけにはいかない。思惑通り、乗せてもらえました。ドライバーはタウランガまで狩猟に行っていたハンターでした。一週間ほど行っていたらしく、奥さんが待つワイロア(Wairoa)に帰る途中だった。後部座席には素敵な花や森の植物も並んでいる。用途を聞くと、奥さんが花が好きでデコレーションするから山で取ってきたのだそう。ぶっきらぼうなしゃべり方で全然ニコっともしなかったのに、このときだけははにかんでちょっと嬉しそうにするんです。照れてやんの~。こういうのって歳なんか関係なくいいものですね。 初日にお世話になったおうちまで降ろしてもらい、御礼を言いました。いつかこのヒッチハイク運も底を着きそう。 晩御飯もまたおうちでごちそうになりました。わしはベジタリアン(菜食主義)で肉は食べないんですが、このときはわざわざ卸したてのソーセージを料理してくれたし、その鹿と猪肉のミックスは山の狩猟で手に入れたものだったので、ありがたく頂きました。わしがベジタリアンである大きな理由は、今の食肉産業(ビーフ、チキン、ポークなどすべて)が動物をひどい環境で育てて、命を命として扱っていないことに賛同できないしそれに加担したくないからということです。狩猟はその点はクリアしていると考えています。それにニュージーランドでは鹿や猪は害獣として扱われていて、ただ環境保護のためだけに彼らを殺すんじゃなくて、私たちが彼らを食べ、生きる目的としても殺すのなら、その肉は食べてもいいという選択も時にはありかと思います。 次の日はワイロアまで仕事に行く車に乗せてもらい、お別れになりました。来た時は7台の車で7時間もかかったのに、帰りは5台5時間で帰れました。家に帰ってもだれもおらずめっちゃ退屈でした。いい旅でした。 とうとう学期休みに。ずっと一緒に山に行きたかったあの人と行ってきました。そう、70歳の私の教授、トレバー。トレバーと初めて会ったのはわしが一年生の時取っていた化学の講義。そのときは講義中にいちいち自分の登った山の写真を挟んでくる面白いおじいさんぐらいにしか思ってなかった。それから山に登るようになって、テアラロアの準備で情報収集しているときにトレバーのことを思い出して、彼の大学のオフィスに会いに行きました。「テアラロアってロングトレイルがあるんですけど、やったことありますか?」ってストレートに聞きました。トレバーは「ないよ。そういうの歩きたがる輩たちがいるみたいだけど、僕にはいまいちわからない。」と言いました。その学期に取っていた講義もトレバーが教えていたのですが、わしはなんとも出来の悪い生徒だったのでてっきり嫌われていると思い、それからは話すこともなくなりました。
夏の長旅から帰ってきてまた大学に戻った時トレバーはいませんでした。退職していました。連絡の取りようがなく、いろんな教授たちにトレバーの連絡先を聞いて回りましたが知っている者はいませんでした。そこで最後に化学の事務オフィスに行きトレバーに連絡してもらえないか伝えました。それから数週間待っても彼からの音沙汰はなく、やっぱり嫌われているからしょうがないと思っていました。そんなときにばったり大学の図書館でトレバーと出会い、オフィスから送られてきたメールに書かれていた私のメールアドレスがタイプミスで私に返信できなかったということでした。彼の手には私宛の手紙が握られていました。だれかまだ私を受け持ってる化学の教授だれかに託すつもりだったらしいです。そのためにわざわざまた大学にきてくれたのです。とっても嬉しかった… トレバーは私のことを"My hero"と呼びました。トレイルの話を聞きたいとランチにも誘ってくれました。 それからしばらく経って、私からトレバーに山に一緒に行かないか誘いました。で、この山行です。トレバーは「クレージートランパー(頭おかしい登山家)」と大学で有名です。それもそのはず、60歳、70歳の誕生日に北島の最高峰トップ3に24時間で登頂するという偉業を成し遂げています。トレバーと一緒に山に行くと言うと、みんなギョッとした顔をしました。リアクションの対応も面倒くさくなってきたので、トレバーと行くときはこれからはだれにも言わないでおこうと思います。 トレバーは強靭でした。私がストップをかけないといけなかったぐらいです。水も取らない、昼食も取らない、超スピードハイク狂でした。こんな70歳、かっこよすぎる。彼は私にとっての“My dream”です。 |