3月4日
テ・アラロアの一部であるワイオペフ・ハットに行ってきた。メンバーはエマ、ヤン、ウィング(エマのカウチサーファー)とわし。テアラロアから帰ってきてすぐということもあって、みんなの倍の速度ぐらいで歩く。半分ぐらいまでは犬のように先に行っては飼い主が見えなくなると立ち止まりを繰り返すが、それもやってられなくなりみんなを置いていく。 三時間ぐらいでハットに着く。そのときからなんだか自分の不機嫌な感じに気づいていた。なぜか苛立ちが募ってどうしようもなかった。 みんなが一時間ぐらいしてからハットに到着。お昼休憩を取って、わしとエマだけでトゥインズピーク(Twins Peak)に行く。ウィングとヤンは疲れたから昼寝するらしい。 エマと二人で急斜面をがむしゃらに登った。いつもはエマのほうが歩くのが早かったのに、エマがわしのスピードに着いてこれなかった。テアラロア恐るべし。 二人でいる時間は心地よかった。エマとわしはもちろん別の違う人間だけども、いままで共有してきたもの、過ごしてきた時間はやはり安心感をもたらす。3か月間、毎日毎日知らない人に出会って別れることを繰り返すことは容易ではなかった。新しい出会いがなければ人は生きていけないし、実際にわしの人生で育まれた情は数多い。町ですれ違う人と違って山ですれ違う人の数は少なく、毎回会う人たちにわしは即時に情を抱いてしまう。挨拶もするし、お互いの持っている情報を交換したりもする。そこには愛があるし、思いやる気持ちでなりたっている。だからどこかで自分は無理をしていたのかもしれない。トレイルが終盤に近付くにつれて、会うハイカーの数は増え、20人近くとすれ違った日もあった。たぶんわしはそれで疲れたんだと思う。心の愛情・元気ゲージは無限大ではない。テアラロアを終えて、わしの心のゲージは底を着きかけていたと思う。それに気付かなかった。だからエマがウィングを連れてきたときにわしは彼女のために気を遣うこともできず、それがどうしてなのかもわからず、そんな自分に嫌気が差し不機嫌になっていたのかもしれないと今になって思えるようになった。 今このブログを書いている11月、あれから半年以上が経って、あのとき自分はポストロングトレイル症候群に悩まされていたとようやく認められる。なんとなく自分の置かれている状況をわかっていたけど、知らないふりをしてきた。たぶんまだ今も完全に回復してはいない。三か月間も毎日違う場所で寝て、毎日違う人と夜を過ごして、帰ってきてからも自分の家がくつろげる場所だという認識が消えかかっていた。親しい人以外とは誰とも会いたくなかった。そんな状態ですぐに大学が始まって、新しいクラスメートが増えて、体は癒えても心は空っぽのままだったのかもしれない。 トゥインズピークでエマとふたりで過ごした40分間はほとんど無言だった。風の音を聞いていた。寒くなっていく体を感じていた。そしてボロボロ涙が出た。声を出して泣いた。 山にひとりでいるときあのときと同じような感覚に襲われるときがある。自然がいかに大きく素晴らしいものか感情が追い付かずに、自分の意識が土と空気と木々に混ざって消えていく。このまま消えて死んでしまいたいと思うと同時に自分の生を強く実感する。息を吸うと目がギュッとなって、息が胸に詰まって、無理やり息を吐くと涙が零れる。 いつかこの孤独から抜け出せる日は来るのだろうか。虚無の拡張は止まるのだろうか。
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